「雑司が谷 寛」へようこそ。

大正から昭和にかけて、多くの文士が居を構えた雑司ヶ谷。
池袋・目白から近い立地にもかかわらず、どこか懐かしさを感じる町並み。
その一角、静かな住宅街にひっそりたたずむ歴史ある建物が、「雑司ヶ谷 寛」です。

昭和に活躍した小説家・三角寛の邸宅であった当店は、
作家独自の感性が散りばめられた、趣き異なる6室の個室からなっております。
大切な方々とのお食事、ご接待、お顔合わせなど、幅広い目的で御利用いただけます。

大正から昭和にかけて、雑司が谷には菊池寛をはじめ多くの文士が住んでいました。
三角寛も当時交流のあった菊池寛の紹介を受けて、昭和10年(1935)、ここに居をかまえました。

サンカ研究で有名だった三角寛ですが、 漬物や梅干し作りを愛し、「つけもの大学」という本を記すなど、料理にも大変な興味がありました。
その血を受け継いだ三角寛の一人娘が、平成元年、女将としてこの地に料亭をオープンさせました。
その後、孫娘に引き継がれ、平成16年(2004年)からは㈱女将塾が経営をしております。

建物は築90年程になりますが、当時の趣をそのままに、殆ど手は加えられておりません。
各部屋の壁は、三角寛がそれぞれ自身で色を調合し塗装を施したそうです。
当時は当たり前だったものの、今ではほとんど見ることのできない一枚ガラスなど、古き良き日本建築を見ることができます。
当店へお越しの際は、どうぞごゆっくりとご覧下さい。

三角 寛( 明治36年(1903)~昭和46年(1971))

三角寛

大分県竹田生まれ。本名三浦守、僧名釈法幢。

大正15年朝日新聞社に入社、東京北部の警察回りの記者となり説教強盗の報道で話題となる。
永井龍男の勧めで小説を書き始め、『婦人サロン』に『昭和毒婦伝』を連載し文壇デビュー。 『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』など山窩(サンカ)小説を開拓し、流行作家の道を歩む。

昭和37年学位論文『山窩社会の研究』で東洋大学から文学博士号を受ける。
また、同時に漬物や味噌作り研究も行い、『味噌大学』『つけもの大学』を刊行。
戦後は、吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館『人世坐』『文芸坐』を経営にあたった。

平成12~13年に『三角寛サンカ選集』全7巻が現代書館より刊行され、
当時のファンから、またサンカ研究家としても注目を集めている。

右上写真: 縁側に座る三角寛
寛の弁天の間の横の縁側で撮影された当時の様子です。

雑司ヶ谷 寛

●営業時間●
月~金曜日
ご夕食
17時半~ 22時(最終入店20時)

土曜日
ご昼食
11時半~14時半(最終入店13時)
ご夕食
17時半~ 22時(最終入店20時)


●定休日●
土曜日不定休・日曜日日定休
 (慶事、法事等の団体様はご相談下さい)


●御予約●
完全予約制です。
メール、お電話くださいませ。


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